随想録その2「今の私の死生観について第1部」
2021年 04月 01日
随想録第2弾です。
何を書こうかなぁと悩んでいたのですが、年の近い友人が先日闘病の末、お別れの日を迎えてしまい、その事を考えておりましたので、自身の死生観のようなものに関して少し書いてみようかと思います。
長くなりますので2部構成と致します。
(もしかしたら3部になるかも…)
1部は少し暗い内容ですので、そういった内容が嫌な方はここからはお読みにならないようお気をつけください。
私が小学校高学年の時、母に悪性リンパ腫が見つかりました。すでにステージⅣ。余命は半年という宣告でした。
悪性リンパ腫はリンパの癌です。
当時病名しか教えられず、私以外の家族が皆泣いていることから重篤な病気である事は理解しつつも、それが癌であるという事が分かるまでには時間を要しました。
(私が悪性リンパ腫が癌だと理解したのは、ジャクリーン・ケネディさんが同じリンパ腫により他界したニュースを見てでした。)
母は非常に明るく真面目な性格で、お医者様に言われたことはしっかりと守り、当時新薬が出たことも重なり、余命半年と言われてから、実に18年もの年月を病と闘い続け、生き抜いてくれました。
もし自分が今発病したら…(母が発病した歳と同じ歳になりました。)
母のようにこれから18年間も頑張ることは、正直できないと思います。
本当に母は忍耐の人だったと、この歳になって強く感じております。
人間渦中におりますと、自分が可哀想だとか、辛いという感覚は鈍り、その中で小さな幸せを見つけながら「自分は恵まれている」と言い聞かせて生活する事が当たり前となります。
何かある度に
「お母さんは明日死んでもおかしくないんだ。」
と言われると、物事の天秤皿の片方は常に生死が乗っており、端から比べる必要もない状態になってしまいます。
実際に、母と同じ病室で数日前まで笑って話していた人が、ある時見舞いに行くと居なくなっているという経験を重ね、その皿は更に現実味という重さを増しました。
学校で嫌な事があっても、生死と闘っている人間に比べれば、自分の悩みはちっぽけなもので、とても口には出せませんし、当時母の病気でいっぱいいっぱいだった父に言ったところで「私に問題があるんじゃないか」と一蹴されるのがオチでした。
幼少期の時に植え付けられた孤独感と自己否定感というのは、心の中にポッカリと大きな穴が空いたような状態でして、何か別のもので一生懸命埋めようとしても、なかなか埋まるものではありません。
結果どうなるかと言いますと、私は10代の頃から最近まで、30年近くもの間、自分が死ぬ事を考えない日はない状態が続きました。
自殺に限らず、車が通ればその車がコントロールを失い自分にぶつかるんじゃないか…
エスカレーターに乗れば、上の人が倒れてドミノ倒しに巻き込まれるんじゃないか…
エレベーターに乗れば、落下するんじゃないか…
駅のホームに立てば、誰かにぶつかられて電車にはねられるんじゃないか…
とにかくまるで映画「ファイナルデスティネーション」シリーズのように(苦笑)自分が死ぬ想像がついて回るようになっておりました。
心の中ではそんな暗い考えが渦巻いている状態でも
「母の病気にはストレスが1番良くない。1番良いのは笑う事だ。」
と言われ、表向きはせっせと母が喜ぶ事をしようとする日々。
(もちろん年頃ですから、絵に描いたようなお利口さんではなく、その年なりの悪いことはしておりましたよ😅)
そしてその一つが結婚でした。
…という事で第1部終了です。
第2部に続きます。
現在の死生観について書こうと思うと、過去について簡単に書かないと説明がつかず…
思った以上に長くなりそうです😅
ご興味がおありの方はお付き合いくださいませ。
by pa-pen
| 2021-04-01 21:47
| 随想録
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