随想録その2「今の私の死生観について第3部」
2021年 04月 04日
暗い内容でストップしている随想録。
あまり放置するのも良くないでしょうから、さっさと書き進めたいと思います。
今回も暗めかもしれません…(汗)。
離婚してしばらくしてから、母が骨髄移植を受けることになりました。
(ここからはあくまで母の話ですので、移植を受けた方全ての方がこうなるという話ではないという点、ご理解くださいませ。)
移植を受けると免疫力はゼロになりますので、無菌室での生活となります。
口からの飲食は出来ず、栄養は点滴から。
大きな空気清浄機が入った部屋で一日中ベッドの上。
無菌室を出てからも、飲食にはかなり制限がありました。
体は浮腫み、肌はカサカサになり、ピアノの講師をしていたのに好きな音楽を聴く気力も湧かず、テレビですら見る体力がなく、もちろん空を見ることもなく…
生きる為に懸命に努力をしているはずなのに、生きるって何なんだろう…と母を見て日々考えさせられました。
美味しいものを食べることも、好きな音楽を聴くことも出来ない母を見ていると、自分が食事を食べて笑う事にすら罪悪感を感じるようになりました。
けれど事情を知らない周りの人の前で暗い顔をするわけにもいかず…。
楽しそうに笑って過ごす自分と、そうやって過ごす事に罪悪感を感じる自分、二人の自分が日々乖離していくような感覚が当時はありました。
移植自体は定着しつつあったものの、脳に障害が起き、ある日を境にまともな会話が成り立たなくなり、父の「かよに何か伝えておきたいことはあるか?」との問いに、無邪気な笑顔で「ん〜なんもない!」と答えたのが、私との最後の会話になりました。
きっと沢山伝えたいことはあったと思います。
言葉とは裏腹に、不思議と想いは充分に伝わりました。
そしてその3日後、母は他界しました。
家族全員できちんと見送ることが出来たのは、母の頑張りのおかげだと思っております。
離婚をし、母が他界し、急に裸で外に投げ出されたような感覚になりました。
それまでの私は「主人の為」「母の為」と言いつつ、そこに依存して生きていた事に気付かされたのです。
好きで始めたはずの象嵌でさえ、何のためにしていたのか分からなくなってしまいました。
しっかりと答えが見つからぬまま、日々を生きる事だけで1年が過ぎた頃、骨髄移植のドナーとしての通知が届いたのです。
随想録第2弾第3部はここまでとなります。
いやぁ…暗い…。どうしましょう。
今はこんなに楽しく生きているのに(笑)。
次でようやく本題に入って終われる…はずです!(笑)。
by pa-pen
| 2021-04-04 09:36
| 随想録
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