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随想録その2「今の私の死生観について第4部」

長々続いた随想録第2弾ですが、なんとか今日で終わる…はずです(笑)。


母が他界してから約1年後、ドナー登録していた骨髄バンクから提供依頼がありました。
母は結果としては残念なものになりましたが、適合ドナーがいるということは、治療の選択肢が増え、命を繋ぐ望みとなっておりましたので、その恩返しのために、母が他界してすぐに登録していたのです。

骨髄採取は全身麻酔で行います。
麻酔を打たれ、数字を数えたかと思ったら、もう術後のベッドの上でした。
(当時の話はこちら↓をどうぞ)

その時妙に納得したんです。
「あぁ、死ぬってこういうことだな。」と。

夢を見ることもなく、よく言う三途の川もなく、プツっと消える感じ。
ゲームの電源を切ったかのような感覚です。
何もない。

そしてとても救われました。

母が他界する時、怖い想いをしたんじゃないか、寂しい想いをしたんじゃないか…と可哀想で、思い出す度に悲しい気持ちが続いていたのですが、全身麻酔を経験した事で、死ぬと言うことは「怖い」や「寂しい」という想いすらもなくなる、完全な無なんだと感じ、ずっと抱えていた母に対する悲しみから解放されました。

さて、長い長い暗い暗い前振りを経て、ようやく本題です(笑)。

幼い頃から死が近くにあり、生きるために辛い治療を続ける母を見続け、子供に恵まれず新たな命に触れられなかった私にとっては、死ぬことは当たり前で、生きる事が特別なことなんだと言う感覚が強くあります。
死ぬことは特別じゃない。

この世の生き物、全て平等に与えられた権利が死です。どれだけ抗っても、みんな死にます。

でも生きることは平等ではありません。
この世に生を受けられない命もある。
生まれてすぐにお別れする命もある。
ずっと生きる為に闘い続けなければいけない人もいる。
何も考えず健康で過ごす事が当たり前な人もいる。

死ぬ事は悲しいけれど、必要以上に引きづられて悲しみ続けるものではないと思っています。

例えば大きな災害があった日に、Twitterなどで明るい話題を書くと「不謹慎だ!」と叩かれる事がありますが、私は生きているその喜びを大切にするべきだと思っていますし、それを伝える事が悪いことだとは思いません。


母が他界した時、悲しみの中に私はいましたが、世の中は明るい話題が飛び交っていました。

毎日どこがで誰かが亡くなり、誰かが悲しんでいます。

誰が1番悲しいとか、誰の死が1番重大だとか、そんなランク付はありません。
そして全ての悲しみに寄り添うことはできません。


生きていても、会話に名前が出る程度で死ぬまで会う機会のない友人知人も沢山います。
他界した話を聞くと、また会えたかもしれないのに…と寂しく思いますが、そうではありません。
生きていても、自ら会いにいかなければ会えません。


死が特別だとは思わず、生きることが特別だと想い日々を過ごす。


これが私の死生観です。
シンプルで当たり前のことすぎて、これだけを書くと、何を今更…となりそうで、ここまで長々と書いてしまいました。
長々と書いた通り、色々な生死に関わる体験を経て辿り着いた現時点での答えです。

死が特別だと思うから、自ら死ぬ事を選ぶこともあると思います。
でも選ばずとも、嫌でも人は死にます。

死が見えた時「いい人生だった」と思えるように生きる。
これが今の私の大きな目標です☺️

これはあくまで今の私の死生観です。
誰かに強要するものではないですし、私自身いずれ考えが変わる可能性もあります。

ただ、普段私が人の死よりも生きていることを大切にしている理由を知っていただければ…と思い書き連ねてみました。

全文お読みくださった皆様、お疲れ様でございました。
そしてありがとうございます。

次の随想録は明るいくだらない話題を書きたいと思います!
また読んでいただけますと幸いです。



by pa-pen | 2021-04-06 08:27 | 随想録 | Comments(0)

金沢の稀少伝統工芸である加賀象嵌のお話を中心に、その他趣味のお話もちょろちょろと…。


by pa-pen